2010年02月04日
ハイチとコーヒー
今日、ハイチの大地震による死者が20万人を超えました。
ハイチの人口は約1,000万人なので、50人にひとり、2%の方が亡くなったことになります。
これほど多くの命が一度に失われたことに対し、なぜか日本では反応が薄いような気がします。
コーヒーの歴史を勉強したとき、ハイチはよく出てきました。
1734年、フランスの入植者がコーヒーの栽培を始めます。
それから約50年後、ハイチ(当時はフランス呼称サン・ドミンゴ)は世界産出量の半分を占めるほどになりました。
ただし、その原動力となったのはアフリカから連れてこられた黒人奴隷。
1791年、彼らは反乱を起こします。
13年後、ハイチは黒人国家として独立を果たしますが、コーヒーの世界においては地位を失ってしまいました。
それからずっと後、世界が第一次大戦を経た頃には、ハイチのコーヒー産業はかつてほどではないにしろ回復していました。
しかし、政治的な混迷は21世紀の今でも続いています。
ハイチで起こった大地震に対する日本の反応が薄いのは、両国の関係が薄かったことの表れではないかなと。
安全保障上、ハイチの内政に干渉してきたアメリカは、もっとずっと反応が強いように思います。
アメリカが良いというわけではありませんが、無関心よりは世界とつながっていたい。
なんかそう思いました。
コーヒーを介して世界を知る。
そんなカフェにしたいです☆
ハイチの人口は約1,000万人なので、50人にひとり、2%の方が亡くなったことになります。
これほど多くの命が一度に失われたことに対し、なぜか日本では反応が薄いような気がします。
コーヒーの歴史を勉強したとき、ハイチはよく出てきました。
1734年、フランスの入植者がコーヒーの栽培を始めます。
それから約50年後、ハイチ(当時はフランス呼称サン・ドミンゴ)は世界産出量の半分を占めるほどになりました。
ただし、その原動力となったのはアフリカから連れてこられた黒人奴隷。
1791年、彼らは反乱を起こします。
13年後、ハイチは黒人国家として独立を果たしますが、コーヒーの世界においては地位を失ってしまいました。
それからずっと後、世界が第一次大戦を経た頃には、ハイチのコーヒー産業はかつてほどではないにしろ回復していました。
しかし、政治的な混迷は21世紀の今でも続いています。
ハイチで起こった大地震に対する日本の反応が薄いのは、両国の関係が薄かったことの表れではないかなと。
安全保障上、ハイチの内政に干渉してきたアメリカは、もっとずっと反応が強いように思います。
アメリカが良いというわけではありませんが、無関心よりは世界とつながっていたい。
なんかそう思いました。
コーヒーを介して世界を知る。
そんなカフェにしたいです☆
Posted byHIROat00:01
Comments(0)